一寸先のことは、巨万の富をもつ大資産家であろうとも、世界最高峰の学歴をもった学者にでもまったくわからない。ただ一つを除いては…
日本のホスピスの父、淀川キリスト教病院理事長:柏木哲夫医師はホスピスケアを日本に導入し、約半世紀にわたって普及と啓蒙につとめてこられたいわば先駆者。
数千人もの患者様を看取ってこられた柏木先生の言葉の一つ一つに愛と尊厳が含蓄されています。
「あらゆる統計の数値がありますが、唯一確実ともいえるのは人間の死亡率は100%であるという”統計”です。 その限界値は人間みな平等です。 その人間の限界から目をそらさず、命と向き合い、支え合えば、最後に”ありがとう”という言葉が自然と出てくるんです。」と。
ある大企業の社長さんが、死への恐怖にさいなまれ、まだ死にたくない、お金ならいくらでも払うから何とかしてくれと錯乱する、それはみるも切ない最期。
一方、付き添っていた娘さんに、じゃぁ行ってくるねと、まるで隣の部屋にでも行くかのように穏やかな雰囲気の中で最期を迎えられた女性。
病気で死を迎える場合、どんなに裕福でも、社会的地位があっても、最期は衣がすべて剥げ落ちて、魂が剥き出しになる。
そのとき、魂の平安があるかどうか。それが、安らかな最期につながる…
『緩和ケア』には大きく3つの要素があるという。
体の痛みに対するケア。
心の痛みや不安に対するケア。
そして、魂の痛みに対するケア。
「体の痛みは、薬を上手に使えば取り除くことができます。
心の痛みや不安も、薬などで安定させることができます。
一番難しいのは、スピリチュアルペインと呼ばれる 『魂の痛み』です。
この苦痛には薬がありません。 唯一できるのは…
寄り添うこと
それしかありません。」
心の痛みと、魂の痛み。
言葉にすれば同じように思えるが、精神科医でもあり多くの患者様の最期を看取ってこられた柏木先生には、同じものと考えられない経験が数え切れないほどあったという。
「頭の中で生まれたコトバではなく、魂の叫びとしかいえない声を何度も聞いてきました。
25歳の末期がんの青年が絞り出すような声で「なぜ、僕はこんなに若いのに死ななきゃいけないんでしょうか。」と。
47歳の女性は「私が病気になったのは生き方が悪かった”天罰”なのでしょうか。」と。
彼らの言葉は、人間関係の悩みでも経済的な問題でもありません。
漠然とした孤独感や不安感でもない。
死を直視した上で、欲望や理屈、感情すら超越したところから発せられたとしか思えないのです。」
医師とナース、ソーシャルワーカーや薬剤師、栄養士らが一つのチームになって、患者を苦痛から解放し、尊厳をもって最期を迎える、そんなアメリカでの医療体験に心を打たれて、
生物として死なせない、延命することこそが目的の日本の医療界にホスピスを導入してきた柏木先生は異端児扱いされ、辛酸をなめてこられた。
人間の尊厳を支え、寄り添うことの大切さは、命の最期だけではなく、常日頃からの生き方にあるのかもしれませんね。
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