『 遠きを慮る 』・・・遠慮☆

皆がよく知る言葉:「遠慮」とは、「遠きを慮る(おもんぱかる)」ことです。


【遠き】には二つの意味があり、

①時間的な遠い将来 と ②空間的な広がり があります。


よき人間関係を保つにも遠慮は必要で、そのためにも昔から人は、「礼儀」という規範を作りました。 

時空間の遠きに思いを馳せ、人に対しては言動を控えめにする…それができる人を「大人」といい、対する「子供」は遠慮をしらない。礼を弁えない。つまり、遠慮を知らず礼を弁えない人は、肉体的に大人であっても、精神的には幼児性の域を脱してないということになります。 実際、社会にはそういう人ってかなり多いと思われます。


いま・ここ・自分の都合だけでなく、遠い将来に思いを馳せ、彼方此方を慮る。

こうした先人たちの積み重ねの結果、今の時代の繁栄を生きていられていることに気づかなくてはなりません。


「論語」衛霊公第十五に

人、遠き慮なければ必ず近き憂いあり」 とあり

もし人が遠い将来を見通し、広く周囲を見回して深い思慮を巡らせておかないと、必ず手近なところに憂うべきことが起きてくる、と孔子様の身に染みるありがたい言葉に凝縮されてますね。


敬慕する二宮尊徳の有名な「秋ナス」の逸話があります。


天保4年(1833年)の初夏。ナスを食べたら秋ナスの味がした。

地上は初夏でも地中はすでに秋になっていると感じた尊徳は、桜町の農民にヒエをまくように指示しました。

すると、その年は冷害で、稲は実らず凶作になったが、桜町では餓死者はいなかった。

この冷害は1年では終わらないと判断した尊徳は、以降3年間、ヒエやアワ・大豆を植えさせ蓄えさせたところ、尊徳の予想通り、天保7、8年と大凶作が続き、全国の餓死者数は数十万人にも及んだところ、桜町では餓死者は0だった。 尊徳の深い「遠慮」が人命を救ったのです。


とてもわかりやすく、そして私の大好きなこの逸話には、人生の教えがぎゅーっと凝縮されているように思います。  


目先の小さな益しか見えてない「小人」ではなく、遠きを慮できる目をもつ「大人」になりたいと…

最近、今までに出会ったニンゲンの中で、最も可哀想な小人と思えるニンゲンに出会ってしまって、

改めて自分の心をきゅっきゅと磨きなおしているワタクシの決意なのでした。(-_-;)

 (藤尾秀昭氏(致知)の言葉より一部抜粋)

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