弘法大師様は「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」という著述の中で
「生まれ生まれ生まれ生まれて生の始めに暗く、死に死に死に死んで死の終わりに冥(くら)し」 と言われています。
すべてのものが生命を受けているわけですが、どこからその生命が出てきているのかは暗くてわからない。
生まれてきた以上は死んでいくことになりますが、死の先もまたわからない。
だからこそ悔いのない一生を送ることが大事なのだ、と。
真言宗でも皆知の三密 「身口意(しんくい)」は、弘法大師様が一番大事なものであるとおっしゃられたことです。
「身」とは、体(姿・形)のこと
「口」とは、言葉のこと
「意」とは、心のこと
つまり、体と口と心が一つになって、一つのことが成就すると言われています。
心をこめて声にして拝んでいたら形式とかは無視してもいいんじゃないか?という問いに対しては、真っ向から、やはりいくら気持ちがあったとしても、ダラダラとした相手に不快な気持ちを与えるような崩れた姿、形ではだめだと諭され
かといって、姿や形式は立派にし声にして拝んでいたとしても、心がこもっていなければまったく意味がない、と一喝されます。
…そういえば。
私の主祭神として毎月ご挨拶申し上げている枚岡神社の宮司様もおっしゃられてましたっけ。
「御信仰あつい社長様で、毎月会社を訪問しご祈祷差し上げていたとある会社の社長様が亡くなられて、息子様が事業承継されてからも、毎月の行事的に私たちも呼ばれてご祈祷させていただいておったのですが…
なんせ、信仰心のない息子様でしたから、形式だけの神棚とご祈祷でしたので、みるみるうちに業績も右肩下がりになりました。」
「…ちなみに、その会社さまだけではないですよ。同じような会社さまは数多く見てきましたからねーーー。」
( ゚Д゚) ( ゚Д゚) (;・∀・)
神仏習合。入り口が違うだけ。
語り部が違うだけ。
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